詩を書きました その64
同じことを繰り返し、飛躍はあるのか、そもそも日常に飛躍は必要なのか。
抜け出したいと思っているうちは、決して抜け出せないというジレンマ。
詩を書きました その61
2回目の緊急事態宣言が出て2日目の今日。
当分感染は収まらないだろう。
来週からはまたリモートワークになる。
詩を書きました その58
コロナ前と渦中の今、世の風景は大きく変わってしまった。
人間社会の都合に関係なく、時は流れていく。
それが虚しくもあり、救いでもある。
流されることなく真実を見極める目を持ち、生きていきたい。
詩を書きました その57
2020年オリンピックイヤー、祝祭のはずが、もはやオリンピック中止も視野に入ってきました。
季節は社会情勢にかかわらず進み、今まさに春へ。
詩を書きました その56
年の瀬ですね。やっと何とか一年が終わりそうです。
詩を書きました その55
詩は寄り道?
詩は還る場所?
詩は息抜き?
詩は頭の整理体操?
そして今日も詩を書く
詩を書きました その54
にぎやかな虫たちの夜祭り
一人でも独りじゃない
詩を書きました その53
うんざりする8月、少しづつは秋になり、勝手に寂しくもなる。
そして、まだ空きばかりの予定表を見ている。
詩を書きました その52
水の流れるように淀み無く
リズミカルに言葉を紡ぎたいが
心地よいだけでは右から左に素通りだろう
でも流れるような文章を目指すことから逃れられない
書くことに対する姿勢は、以前下記の記事に書いた。
波立つ心のバランスを取るために、必要以上に淡々と書いていることは自覚している。
5月23日以降に書いたもの。
詩をつくる教室 言葉のレッスン 朝日カルチャーセンター新宿教室
2019年5月22日のことです。別記事に書いたのが、その時の感想です。
前回の教室。
詩を書きました その51
どこへ行こうとしているのか
少しでも上り坂なら知らぬ間に高みに上がるし
下り坂ならどこまでも落ちていく
今はまだダラダラとした上り下りが続く
それがいいとか悪いとかでなく
自分の立ち位置は明確に把握しておきたい
詩を書きました その50
桜が散り本格的な春が始まりました。すっかり春です。
詩を書きました その49
削って、磨いて、研がき上げた剃刀の刃は、決してナタにはならないのだった。
剃刀になりたいのか、ナタになりたいのか。
方向を間違えれば、決して目的地に辿り着かないのだ。
詩をつくる教室 言葉のレッスン 3回め 朝日カルチャーセンター新宿教室
2018年12月26日のことです。
あらかじめ提出した詩の講評。
残念ながら都合により、最後の時間まで残ることができなかった。
提出順に講評されるところを、先頭に講評していただいた。
途中退出が念頭にあったため集中力にどうしても欠いてしまった。
この三回の教室を通して得たことは、
抽象的な言葉だけでなく、具象的な描写を入れると詩が生き生きとする。
人ごとに持つ言葉が違い、決して同じ詩にはならないという気付きだった。
また削れる言葉はなるべく削った方が詩の強度が増すということだった。とことん削れば俳句や短歌のような定型詩になるのだろう。
人の批評を意識して詩を書くことは、単純に詩をブログに上げて行くより、意識的に言葉を紡ぐ機会になった。
今までずっとブログに詩を上げるだけだった。詩の教室も今回始めて行ったばかりだ。今後の詩作をどうするか思案中。
講師の文月悠光先生、ありがとうございました。