自分の頭で考え続けることは、辛いことだ。
でも池田晶子さんの言葉には勇気づけられる。
彼女は9年前に亡くなっているが、折に触れ著作を読んでいる。
またこれからも読み続けるだろう。
あの「ブログ」というのが、現代ふう自己顕示の典型だね。お互いいっせいに「私は」「俺は」と誰だか知れない誰かに向かって主張している。誰でもいいからとにかく他人に認めてほしい。他人に認められなければ、自分を自分と認められないんだ。-14才からの哲学
— 池田晶子bot (@ikedanbot) 2016年7月16日
もしも君が自分の人生を大事にいきたいと思うのなら、言葉を大事に使うことだ。世界を創った言葉は人間を創るということを、よく自覚して生きることだ。つまらない言葉ばかり話していれば、君は必ずつまらない人間になるだろうー14才からの哲学
— 池田晶子bot (@ikedanbot) 2016年7月15日
しかし、自分を認めるために、他人に認めてもらう必要はない、空しい自分が空しいままに空しい他人とつながってなんで空しくないことがあるだろうか、人は他人と出会うよりも先に、まず自分と出会っていなければならないのであるー41才からの哲学
— 池田晶子bot (@ikedanbot) 2016年7月11日
僕らが誰か人を信頼するのは、その人の考えがその人の生き方を裏切らず、その人の生き方がその人の考えを示している、そういうときだけだ。ーソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け
— 池田晶子bot (@ikedanbot) 2016年7月5日
しかし、我々の日常とは、よく考えると、明日死ぬ今日の生、その連続以外の何ものでもない。なのにどうして人は、言葉を求めずにお金を求めるのか。世の中が息苦しくなっているのだって、言葉が汚れ、汚れた水の中で生きていられなくなっているからに他ならないのですよ。―暮らしの哲学
— 池田晶子bot (@ikedanbot) 2016年6月22日